Memo

私たちの仕事の役割は何なのだろう

私たちが住んでいる静原という場所は、京都の大原と鞍馬に挟まれた山間地区で、平安以前から続いているような農村です。
長い時間のなかで生まれてきた瓦屋根が連なる景観は素晴らしいです。
一般的な日本の住宅街は、工業製品の集積が直線状に並んでいるような印象ですが、
静原の場合は、日当たりや水の流れといった自然の条件に寄り添うように土蔵や深い軒を持つ木造の建物が実に自然なリズムで並んでいるところが、素晴らしいと感じています。

 載せている写真は、私たちが住んでいる静原にあるカフェ Milletの敷地内で撮った写真ですが、
私たちが縁もゆかりもない静原に移り住むことになったのは、静原という場所が気持ちの良い場所であったことはもちろんですが
MIlletを営んでいるファミリーの生き方が魅力的で、近隣住民として共に子育てしながら暮らしていく具体的なイメージがリアルに想像できたことが大きいです。
Milletさんは、カフェを営むと同時に、自分たちで野菜やお米を育て、ヤギや鶏を飼い、自分たちが五感で良いと感じたことを実行して、
自然と調和した生き方を真剣に追求しているように感じています。私にはその姿があまりにまぶしく写り、初対面の時はなんとなくドギマギしておりました。

Milletさんファミリーの生き方を見ていると「都市」と「農村」、あるいは「人工的なもの」と「自然的なもの」の関係について考えさせられます。
そして、どこまでいっても絵にかいた餅を作っているような建築設計という自分たちの仕事の在り方についてもモヤモヤと考えこんでしまいます。
私たちの仕事の役割は何なのだろうかと。

 土地に一つ建物を作るということは、人間がサバイブする術であり、多かれ少なかれ、そこで生きられたかもしれない他の命を外に追いやって生きることを意味します。
日本人は、そのことを昔からよく意識してきたからこそ、建物を建てる時には地鎮祭を行い謙虚に頭を垂れてきたのだと思います。
そういう意味で、建物を新たに建てるということに対してもっと謙虚に抑制的にならないといけないのではないかという意識は常にあります。
また、既に建っている中古住宅やマンションは多く、それらの遺産を有効に活用する方が良い場合も多いのでないかとも考えています。
そして、都会の中で土にも触れないような暮らしから、「自然」とのつながりが感じられる暮らしへと近づけるような提案をしていきたいと思います。
だからこそ、その場所の近くで採れる土や国産の木材を建築空間の中で、自然の光をきれいに受け止めるように使っていきたいと考えています。
(自然素材は2つとして同じものがなく、細部を見つめればどこまでも深みがあるものであり、今ある自然素材風の新建材はどこまでいっても偽物で決して自然素材の代わりにはなりません。)

光の移ろい
木々のざわめき
野鳥の鳴き声
木漏れ日
透き通った川の流れ
川面にゆらめく月明り

こういったものが普段の生活の中で美しく感じられる世界は特別な世界であろうか?
未来においては誰もが当たり前に享受できる世界であって欲しいと願うばかりです。